〈「従軍慰安婦」問題についての「日韓の政府間の合意」をどう見るか?〉


1 年末ぎりぎりの「合意」
  2015年の年の瀬も押し迫った12月29日,日韓両国の外務大臣の共同記者会見の形で,懸案の「従軍慰安婦」問題についての両国政府の「合意」が発表されました。戦後70年,そして1965年6月22日に調印された日韓請求権協定の締結から50年という重要な節目の年が過ぎ去ろうとした直前の出来事です。
  「従軍慰安婦」問題については,1991年に報道され始めて以降これまで,日韓の政府間で大きな見解の相違がありました。日本政府は,1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」とし,韓国政府は日韓協議の対象になっていなかった事実であり未解決だという見解の対立でした。

 

2 14年間にわたる日韓協議
  1951年9月8日,いわゆるサンフランシスコ講和条約が調印されました。多くの人たちの声に反した「単独講和」でした(この条約の発効は1952年4月28日です)。韓国は,この条約への参加を求めていましたが,「日本との交戦国」ではないとして,参加を許されませんでした。そして日韓の戦後処理問題は,その後この条約に基づく二国間協議による解決に委ねられました。その後の日韓の政府間の協議は,1951年以降14年間にわたって行われました。どのような協議が行われたか? その内容は長い間「外交上の秘密」として,ほとんどがベールに包まれてきました。しかし情報公開を求める多くの日韓の人たちの裁判を含む努力で,ようやく最近になり,両国において記録の公開が行われるようになりました。
 この日韓協議の間,韓国政府は日本政府に対し「8項目」の要求を示しました。この中には,従軍慰安婦問題も被爆者問題も含まれていません。1962年に示された韓国政府の賠償請求額は6億ドル以上,これに対する日本の見解は「7000万ドルも難しい」というもので,大きな距離がありました。この14年の間に両国の政治状況もそれぞれの変化がありましたし,また,日本側の交渉担当者の暴言や,時の政治課題の影響を受けて何度か中断される,ということもありました。その経過を見ても14年かけて着実に解決に向けて前に進んでいった,ということはできないと思います。この協議における日本政府の基本的スタンスは,韓国側からの「8項目要求」に対し正面から応える,というものではありませんでした。「8項目要求」に基づいて賠償を求めるのであれば「証拠を示せ」という態度でした。そして,最終的に1965年6月22日に日韓基本条約,そして日韓請求権協定が締結されます。請求権協定の内容は,日本政府が韓国政府に「無償3億ドル」の供与,そして有償2億ドルの貸付,というものです。そして,同協定の2条で「両締約国及び国民の財産,権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が,……完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」とされています。

 

3 日韓協定による「合意」の意味は?
 「3億ドル」という金額は,当時の価値にして韓国の1年分とか2年分のの国家予算といわれています。こうした巨額の金銭的な供与がされ,「国民の財産・権利・利益・請求権」を含め「完全かつ最終的に解決済み」とされていますから,日韓の全ての戦後補償問題は解決された,という日本政府の見解もうなずけないわけではありません。しかし,果たしてそうなのか? 問題はそう簡単ではありません。
 まずこの「3億ドル」というお金の趣旨です。協定にはその修飾語は記載されていません。私たち弁護士の日常的な仕事の中で民事紛争の「和解」という場面はよくあります。その時にお金の授受がされるのが普通です。それが和解調書という形で文章化されます。その際かならず金銭の趣旨は記載されます。つまり,お金が支払われて問題が解決する,という時にそのお金が一体どういう趣旨のお金なのか,がその合意内容において明示されます。しかし請求権協定には書かれていません。協定の前文には,「両国間の経済協力の増進を希望して」とだけ記載されています。「経済協力資金」といわれるのはこの記載からでしょう。また協議の過程では日本側から「韓国の独立祝い金」ともいわれていました。結局,この最終的な合意に至るまでの日本政府の一貫した態度は,然るべき金銭は支払うが,それは韓国政府から求められた8項目に対応する賠償ではなく,あくまでも「経済協力資金」「独立祝い金」という趣旨として支払う,というものでした。そして両国の示した金額の大きな差は,アメリカ政府の仲介で縮まることになりました。
 この日本政府の基本的態度は,日韓条約締結の年である1965年1月(つまり条約・協定締結の直前といえます)の,当時の日本側の交渉主席代表である高杉晋一氏(三菱電機相談役・三菱経済研究所理事長・経団連経済協力委員長)の以下の発言にも象徴されています。
  「日本は朝鮮を支配したというが,わが国はいいことをしようとした。山には木が一本もないということだが,これは朝鮮が日本から離れてしまったからだ。もう20年日本とつきあっていたらこんなことにはならなかっただろう。」「日本は朝鮮に工場や家屋,山林などをみな置いてきた。創氏改名もよかった。朝鮮人を同化し,日本人と同じく扱うためにとられた措置であって,搾取とか圧迫とかいうものではない。」
 日本政府は,日本の朝鮮半島に対する植民地支配,そしてそのもとに日本の侵略戦争に朝鮮半島の人たちを強引に戦争に狩り出し,多大の被害を与えた,ということについての真の反省などなかった,と言えると思います。
 1965年当時の韓国の政権は,朴正煕を大統領とする軍事独裁政権です。この朴正煕大統領は現在の朴槿恵大統領の父親です。朴正煕軍事独裁政権は,その政権の維持のため経済的基盤の確立を至上命題にしていました。そして日本政府側は,この日韓の合意を基に韓国への経済進出を図ろうとする財界の強い要請を背に受けていました。「趣旨」が不明確なまま巨額の金銭が日本から韓国に供与されることになったことの見落とすことのできない政治的背景です。
 ここには,戦争被害者の姿は見えてきません。現に,韓国ではこの資金の約5.4%が軍人・軍属らの死亡者の遺族に支払われただけで,そのほとんどが道路やダム・工場の建設などインフラの整備や企業への投資に使用され,「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展に繋げられました。一方日本側は,この協定の後,多くの資本が韓国に進出していきました。やはり請求権資金は被害者に対する補償や援護のために授受されたのではなく,互いの国にとって都合の良い政治的解決のためになされた,というほかないでしょう。このような場合に,金銭を支払う側が「完全かつ最終的に解決」という条件を付けるのは当然と言えば当然でしょう。しかし,そのような文言が入った協定を国家間で締結しても,必ずしも被害者個人の問題が解決したことにはなりません。ここに重要なポイントがあります。

 

4 個人の請求権も放棄されたのか?
 ここで国家間の協定と個人の権利の問題が検討される必要があります。国家間の協定で個人のもつ権利についても解決されたことになるのか? という問題で,国際法のレベルの議論です。
 国家間の協定は個人の請求権を喪失させる効力はない,それはその国の外交上の保護権を放棄させる効果をもつにとどまる,というのが国際法の理解の常識です。この理解については日本政府も当然承知しています。1990年代から政府はこの解釈を繰り返し確認してきています。しかし……,です。しかし日本政府は,韓国など外交上の協定に至った国に対する戦争責任を問われる場面となれば「完全かつ最終的に解決済み」との対応を繰り返してとり続けました。
 このような経過となれば,被害者個々人は声をあげざるを得ません。被害者の人たちは,戦後50年の節目の年が近づく1990年頃から裁判を含む様々な形で問題提起をしていきました。これも当然の流れでしょう。
 こうした経過における重要問題のひとつが従軍慰安婦問題です。1951年から14年にわたる日韓協議においてこの問題は全く俎上には上っていません。韓国政府として,8項目要求の中にも含まれていない新たな問題であり「未解決の問題」と位置付けることにはそれなりの根拠があります。この指摘に対して日本政府が納得できる対応を取れなかったのは,日韓協議において日本政府が一貫して韓国政府からの要求に真摯に対応することなく「いくら支払ってピリオドを打つか」,というスタンスで対応してきたからです。そして最終的には「経済協力資金」「独立祝い金」として,いわばごまかしの形で“決着”を付けたからです。その「ごまかし」がそのまま事なきを得ることになるのか,あるいはそのツケが回ることになるのか,それはその後の日本政府の対応にかかりました。

 

5 河野談話の意味
 問題解決に向けて少し希望をもたせる動きがありました。
 従軍慰安婦問題についての1993年の河野官房長官談話です。1991年,韓国で元従軍慰安婦の金学順さんが当事者として初めて名乗り出たことから国際的にも大きな社会問題となっていきました。そして日本政府としても無視することができず,最終的に,従軍慰安婦問題について日本軍としての関与があったことを公式に認めました。この河野談話は綿密な調査を踏まえて,言葉も慎重に検討した上でなされました。そしてこの動きは,その後の村山談話に引き継がれていきます。戦後50年に当たる1995年,当時の自社さきがけ政権における村山首相は談話を発表しました。この談話は閣議決定を経て公表されていますから日本政府としての公式の見解です。そしてその年,総理府と外務省の管轄下で「財団法人女性のためのアジア平和国民基金」が発足することになります。しかしこの構想は大きな論議を呼びました。ここにおける日本政府の基本的スタンスは,やはり「日韓協定で完全かつ最終的に解決済み」との立場に拘泥し,あくまでも「法的責任は認めない」というものでした。結局この財団は「募金」という形で約6億円の基金を集め,従軍慰安婦とされた方々に対し,1人当たり200万円を支払う,との事業を始めました。日本政府としては,政府予算からの医療・福祉支援事業が実施されることになり,200万円の交付に当たっては内閣総理大臣のお詫びの手紙も添えられました。この日本政府の対応を受け容れた人もいます。しかし,韓国では逆に大きな反発を呼びました。その基本的な受け止め方は,河野談話で日本政府は国家としての関わりを認め,かつ日韓協議において俎上にものぼっていない問題でありながら,あくまでも「完全かつ最終的に解決」論にこだわり,法的責任を認めることなく国民からの募金による基金で決着を図ろうとした,という理解でしょう。河野談話から村山談話という流れは,問題の根本的解決に向けて期待を持たせたものの,やはり「ごまかし」と受け止められざるを得ない状況にもなりました。
 この点,よく引き合いに出されるのは,ドイツの戦争責任のとり方です。戦後のドイツの戦争被害者に対する態度は根本的に日本とは異なっていました。加えて,2000年に「記憶・責任・未来」財団が設立され,その財団にドイツ政府とドイツ経済界がそれぞれ50億マルクを拠出し,ナチス時代の出来事に対する歴史的・倫理的責任を示し,従来までの補償に関する法制に人道的援助を加えて補完することとしました。ドイツも戦後,ポーランド,ロシア,ベラルーシ等との間で和解基金を設立し一定の補償をしてきましたが,それにこだわることなく「記憶・責任・未来」財団が設立され,強制労働等による被害者に対する補償が実施されていきました。あくまでも「完全かつ最終的に解決済み」との立場を変えない日本政府とは対照的です。

 

6 戦後70年・日韓条約50年目の節目に
 このような経緯を経て,2015年を迎えました。戦後70年,日韓協定50年という節目の年です。節目の年,という意味では「戦後半世紀の1995年」と状況は重なります。しかし異なるところは,多くの戦争被害者が高齢を迎えて世を去り,残された当事者はそのほとんどが90歳を超える年齢である点です。この重要な年を迎えるに当たっての致命的なマイナス要素は,安倍政権のもとでこの年を迎えたことです。こともあろうに安倍首相は「河野談話の見直し」と言い出し,現実にその作業に取りかかりました。慰安婦とされた人たちからすれば,治りかけたキズに塩をすり込まれるような思いであったでしょう。和解と平和に向けた歴史の流れは全く逆回転を始めました。「完全かつ最終的に解決済み」論が大手を振ってまかり通り,「いつまで蒸し返すのか」と国粋主義的,排外的な論客が勢い付きました。こうした事態になれば,被害者の人たちの気持ちは一層厳しくならざるを得ません。「日本という国はこれまで一体何の責任をとったというのか?」「40年にもわたる朝鮮半島の植民地支配で受けた苦しみをどうしてくれるのか?」これまで問題に取り組んできた人たちの反発はエスカレートせざるを得ません。

 

7 2015年12月29日の「合意」をどう見るか?
 2015年という重要な年をこのような状況で迎えざるを得なかった,というのはまことに悲劇でした。真の問題解決からどんどん遠のいていった,と誰もが感じざるを得ませんでした。
 ところが,正に電光石火,年も変わろうとする直前の12月29日,急遽「日韓合意」が発表されました。結論としては,韓国で基金を設立し,そこに日本政府が国家予算から10億円程度を拠出する,というものであり,「問題は不可逆的に解決された」というものです。「韓国側は問題を蒸し返ししない」などと何度も,繰り返されました。
 この経過で最も重要なポイントは,この急転直下の「解決」に当たって40数名が生存されているという従軍慰安婦とされた被害者の人たちの意思が,全く無視されていた,という点です。「合意」の後に韓国政府が初めて元慰安婦の方々にその内容を知らせた,というのですから,驚きという他ありません。韓国政府の責任は勿論でしょう。しかし日本政府として,この合意に至るまでに韓国政府にこの点の確認もしなかったのでしょうか? 最も重視すべき被害者本人の意思,意向を確かめることなく,「不可逆的」な合意がよくできたことと思います。そもそも「蒸し返しはしない」という言い方は「理不尽な要求に仕方なく応じた。これ以上何も言うなよ。」という印象をぬぐえません。このような姿勢で,いくら言葉の上で「謝罪」「反省」と繰り返してもそれが真意とは受け止められないでしょう。
 のみならず,1965年に政府間で「完全かつ最終的に解決」としたにもかかわらず,その後も問題が提起され続けてきた一つの大きな要素に,「個人の請求権は消滅していない」という法理があることは日本政府も熟知していたはずです。そうであるならば,「不可逆的に解決」を図るのであれば被害者の人たちの意向を確認することは当然のことでしょう。

 

8 本当に「解決」したのか?
 このような「解決」が真の解決でないことは,1965年の請求権協定が教訓として教えてくれているところです。本当に償われるべき当事者が無視されて,両国の政治的思惑だけで事に終止符が打たれる…正に1965年の過ちを繰り返したことになります。韓国側の事情とすれば,朴槿恵現大統領が1965年当時の朴正煕大統領の娘である,ということを考えざるを得ません。もし朴槿恵大統領が1965年の日韓請求権協定について「完全かつ最終的に解決済み」ではなかった,という態度をとるとすれば,それはある意味では自分の父親が行ったことを否定することになります。また,皆の目がそちらに向けばその際の巨額な請求権資金の行方が改めて追及されることにもなりかねません。事前に当事者の意向を確認しようとすれば反発を受けるのに決まっています。しかし「解決」は至上命令であったのでしょう。一方日本側からすれば,冷え切った日韓関係が続くことは日本経済にとって好ましくないことです。ことに,2012年以来,強制動員問題で韓国の裁判所で三菱重工や新日鉄住金,不二越等の日本の企業が賠償を命じられる判決が続いています。日本の経済界としても冷え切った日韓関係をなんとかしてほしい,という強い意向があったことは想像に難くありません。
 このように見ると,1965年と2015年の状況は重なります。被害者を置いてきぼりにして,両国政府の政治的思惑だけで強引に「解決」に導いたやり方は同じです。日韓両政府は同じ過ちを繰り返した,と言えると思います。

 

9 日本政府の犯罪性
 ここで触れざるを得ないのは,日本政府の犯罪性です。
 安倍首相はつい先日まで,「完全かつ最終的に解決済み」を強調し,強制的に従軍慰安婦として徴用した事実はなかったと言い続け,国家的責任はない,と主張し続けてきました。安倍首相の変わりようのない確信であったでしょう。そうした確信が,何故数か月,あるいは数十日で変わるでしょうか? 明らかに政治的な決断でしかありません。
 先に触れましたが,今回の「合意」において最も犯罪的なのは「不可逆的解決」,としたことです。「もうこれっきり。蒸し返すなよ。」…これが日本政府の最も重点を置いた一文であったことは疑いないでしょう。おそらく今回の合意における譲れない条件であったのでしょう。そして「韓国における基金」構想としました。被害者に直接向き合うこともなく,またその意思を確認することもなく,韓国で基金を設立させ,そこに日本政府として10億円を拠出する。「日本政府としての責任はとった。10億円出すから,あとは元慰安婦の人たちとの問題はよしなに。そのかわり今後の蒸し返しはしないと約束しろよ。またこれから世界に向かってあれこれ言うのもやめにしろよ。」とでも言うのでしょう。実に姑息な責任回避,責任の押し付けというほかありません。そして日本政府としては,従軍慰安婦問題を正に「過去」の事実として忘れ去ろうと宣言したのです。しかし,あくまでも「国家間の合意」であり個人の権利は失われないはずです。ただ残された当事者の人たちは,既に90歳を超え,その数は50人足らずです。おそらくその声は自然に失せていくとでも考えたのでしょう。そして結果として安倍政権の大きな点数稼ぎになる,と考えたのでしょう。とても納得できません。
 今回の「合意」について,日本においてもこれを積極的に評価する見解があります。問題が対立・混迷に向かうよりは,解決に向かうに越したことはありません。とりわけ安倍政権の姿勢が余りにひどいものであっただけに,今回の展開は“歓迎”としたい気持ちは十分理解できます。しかし,今回の合意における「謝罪」「反省」の内容は,1993年の河野談話で述べられています。ここで重要なのは,河野談話における以下の部分です。
  「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく,むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究,歴史教育を通じて,このような問題を永く記憶にとどめ,同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。」
 今回の合意にはこの部分に該当する趣旨は全く示されていません。逆に「過去のことは過去のこと。もう済んだことにしましょう。」という姿勢が在り在りです。
 元西ドイツの大統領リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏は,ドイツ降伏40周年にあたり1985年5月8日,ドイツ連邦議会において「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり目を閉ざすことになる」と演説したことは有名です。そして同氏は同時に,「若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでほしい。われわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい」とも述べた,と言われます。
 もし真に慰安婦問題の解決を図るのであれば,まず当事者の人たちの納得が最低限の条件でしょう。そして,このような非人道的なことが二度と起こらないように,事実を胸に刻み,次の世代に知らしめていくべきことでしょう。決して忘れ去ってはならない筈です。それが真の「謝罪」であり「責任をとる」ということの意味でしょう。
 安倍首相は,従軍慰安婦問題を語る人々に対し一貫して敵意と憎悪の念を示し続け,問題を無理矢理過去のものとして忘れさせようとしています。そのような態度は歴史が許さないでしょう。