巧言令色鮮仁 剛毅木訥仁近
事務所の会議室にしばらく前からひとつの書を飾っています。 一心書道会の書家・寺田白雲さんにお願いして揮毫していただきました。
「巧言令色鮮仁 剛毅木訥仁近」
「言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだということ」 「意思が強く強固で、素朴で口数が少ない人物が、道徳の理想である仁に最も近い者であるということ。」 とされています。 このふたつのフレーズは孔子の「論語」の一節ですが、ふたつが並んでいるわけではありません。別のところにでてきます。私は昔からこのことわざが好きで年賀状にも書いたことがあります。幸運にも書家・寺田白雲さんに出会い、いつかお願いしようと思って遂に実現しました。生涯の宝物にしようと思っています。
孔子は紀元前500年頃の思想家とされていますから、今から2500年前のことわざということになります。そんな昔も今と全く変わらない世相だったのでしょうか? それとも人類というのはほとんど進歩していないといことなのでしょうか? ただ聞こえの良い言葉だけが飛び交い、それがそれなりにもてはやされる……という嘆かわしい世相は大昔からあったのでしょう。今は、それに権力者が乗じる、という状況になっていますから、嘆いてばかりではいられません。
昨年、松本健一著の「『孟子』の革命思想と日本」という興味深い本を読みました。副題は「天皇家にはなぜ姓がないのか」となっています。この本はある新聞の書評欄で紹介されていました。私が目を引かれたのはその「副題」でした。以前から何故天皇家には「姓」がないのか? という素朴な疑問を持っていたものですから……。
日本では戸籍制度がまだ続いています(戸籍制度は日本独特のもので、世界的にも日本が植民地支配した台湾と朝鮮半島にだけあると言われていますが、韓国ではすでに戸籍制度は廃止されています)。戸籍は氏姓単位に編成されます。ですから「姓」のない天皇家には戸籍はありません。特別に「皇統譜」が定められています。皇室典範と皇統譜令に根拠を置きます。これまで私はこのことについて、「天皇が臣民を支配する」という象徴と理解してきました。支配者が民を支配するに当たってそれぞれに符号を付す必要があったのではないか、それも「氏姓」単位で支配するために、とどこかの本で読んだことがありました。こうした問題意識からこの本を買ったのですが、しばらくツンドクでした。 読んでみるとなかなかの本と思いました。 同じ東洋でも、中国の皇帝には姓があります。朝鮮半島の朝廷にも姓があります。「李氏朝鮮」などといわれます。しかし日本の天皇には姓がない。この本はこのことから掘り起こしていきます。結局話は、孔子と孟子の違いに発展していきます。この本を読むまでは、私の実に浅薄な知識で、「儒教の祖孔孟」とか、「孟子は孔子の弟子で……」とかいう程度の認識しかありませんでした。 ここで著者は、次のように解説します。 孔子の論語の核心は、一番の徳は、君子にとっては「仁」であり、人間としては「中庸」という精神だ、と。つまり、右に走らず、左に寄らず、上に阿(おもね)らず、下を蔑(さげす)まずという中庸の精神を持っていれば、心は平安に保たれ、社会には調和が訪れる、という秩序思想が論語の中核思想だ、というわけです。 一方孟子です。孟子思想の根本は、「民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を軽しとなす。是の故に丘民(衆民)に得られて天子となり……」、すなわち、一番尊いのは「民」という思想です。天子といえども、その民に信頼されてはじめて天子になれるのであり、従ってそれをかえることもできる、正に民主思想です。ここから、著者は次のように指摘しています。「『孟子』には皇帝の姓を変える易姓革命、そして国つまり王朝の名を変える易世革命の革命思想が書かれている。」そして本の「副題」に関する話になります。日本においてはいつの時期からか、天皇に「姓」がなくなった、それは「日本を革命のない国にするためにどうすればいいか」ということを考えた人がいた、という論述です。
このように書いていくと本の全部を紹介してしまいそうですので、この辺でやめます。 ただおわりに一言。 「孟子」の一句に次のことばがあります。
「至誠而不動者、未之有也」 (至誠にして動かざる者は、未だ之有らざるなり)
「こちらがこの上もない誠の心を尽くしても感動しなかったという人にはいまだあったためしがない。誠を尽くせば、人は必ず心動かされるということ」とされています。
私も、年をとっていくと「中庸」に向かうのかな……、と思っていたのですが、最近は孟子の方に親近感を覚えるようになってきました。
とにかく、2500年も前の思想家の言い残したことば、今一度見直すことも必要では、と考えるようになりました。